天野氏はここでまた議論を整理する意味で、ご自分のお考え、経験を踏まえてこのようにお話になりました。

琵琶湖総合開発を検証しないのは、「問題のすりかえ」である…


 秋月さんが、バスのことで問題視されている「日本の在来種が追いつめられている」ということを、センセーショナルな言葉(ブラックバスがメダカを喰うのような)で、問題としてみなさんに投げかけたわけです。それは、ブラックバスが大きなブームになって、いろんな有名人が流行に拍車をかけ、子供たちもそのブームに乗る、このままじゃいけない、そういうことを背景にして投げかけたのです。投げかけるときにはキャッチフレーズというものが大事ですから、「害魚」とか「ブラックバスがメダカを喰う」とか、そういう意味でこれらの言葉を使ったわけです。だけれども問題は、ブラックバスがメダカを食い尽くしたんでは無くて、私達、人間の生き方がメダカを絶滅に追い込んでいるのであって、やはり両者、人間とバスを問題にするべきだと思うのです。私は去年の春の始めに、琵琶湖で今年の11月に行われる開かれる世界湖沼会議の、企画委員に選ばれました。その時、私は、世界湖沼会議が久しぶりに日本に帰ってきて、琵琶湖で行われることが決まったのですから、「琵琶湖総合開発をきちんと取り扱うパートを作って欲しい」、また「私達日本人はそれをきちんと検証するべきだ」と提案しました。「日本で一番古くって、大きくて、日本の在来種の故郷と言われている琵琶湖で、なぜ在来種が減少したのか議論して欲しい」というふうに言ったら、その部会はとり下げられて、全然、相手にもされなくって、その代わりに出てきたのが「ブラックバスの影響で琵琶湖の在来種が減っている」というテーマが上がってきたんですね。これは問題の「すり替え」だと思いました。要するに、滋賀県がやるから、国がそれをサポートする琵琶湖の湖沼会議だからといって、琵琶湖が総合開発でいかにダメになったかということを取り扱ってはいけないということはおかしいのです。それが一番大きな問題で、いっぱい魚がいる多様性が保たれた中でブラックバスが入ったなら、さほど大きなダメージを受けなかったかもしれないのに、総合開発で琵琶湖が傷んできているから問題になっているんだということをもっと考えた方が良いと、私は思うのです。
 この点について天野氏は、中井氏に意見を求められました。そしてそれを受け、中井氏は次のように回答されました。

環境破壊などの、バス以外のその他の要因は問題解決に向かっている


 先ほどから私も申し上げている通り、まさにその通りで、環境が破壊されて追いつめられているところへ、ブラックバスが更なる影響を与えてしまっているという言い方をしてきたつもりですし、きちんと認識しているつもりです。また、微力ながら「琵琶湖総合保全」というものが行われていますけれども、できる限り今までの反省を踏まえて、新しい方向へ変わって行こうということでの協力はさせて頂きたいと考えています。それで、ここで私が申し上げたいのは、今、様々な環境破壊の問題が出てきておりますけれども(またお話を繰り返すことになりますが)、例えば河川の問題もそうですが、どんどん潰されてきていましたが、このあたりは天野さんもご尽力されているお聞きしていますが、建設省も徐々に変わってきて、それにともなって川も変わってきています。それで、川がどうあるべきか、川の環境がどうあるべきかというのは、今、少しづつではありますが見直す方向に来ています。水質の問題もそうです。人間が勝手放題すれば、どんどん水は悪くなっていきます。しかしそれではいけない、なんとか食い止めよう、これは市民の方たちの間から生まれて来ました。ですからそういうことはもちろん問題ですけれども、じゃあ、そういう移入種の問題、なおかつ生物多様性、あるいは生物の群集という言い方が正しいかもしれないですが、そういうものに影響のあるブラックバスについてはどうか。環境破壊などの他の様々な要因については、先のようにいろんな努力がされています。ですから、今、この場であえて議論をする必要は無いと思います。
 と、中井氏ははっきり言い切られましたが、それに対し水口氏はこう反論されました。


琵琶湖の研究をもっとやるべきではないか?議論はそれから


 中井さんのおっしゃることは、私にはよくわからないのですが、先ほども申し上げましたが、琵琶湖でいろんな種類の魚の漁獲量が減少したり、消えていったりして、生物多様性の多様相がだんだん小さくなっているのは事実です。そうすると、その原因は何かと考えたときに、当然、ブラックバスも考えられる。ですけれども、他の琵琶湖総合開発なども同じように考えて、どれが一番大きく寄与したか、それを調べるのが研究者の仕事ですよ。ですが、残念ながら滋賀県の関係の研究者、京都大学も含めて、琵琶湖のいろいろな魚が減ったり、増えたりしたことについての原因を調べた研究者はゼロですね(この場で中井氏に了解を求めて、了解を得ました)。それをやらないで、ただブラックバスだけを言うのは、やはりおかしいのでは無いでしょうか。やっぱりなぜだろうか。そこを突き詰める必要があるのでは無いでしょうか。例えば今、中井さんは最近、環境保全をやっているとおっしゃった。確かに滋賀県は、河港課というところでヘドロ除去などを始めています。だけど、これは実は霞ヶ浦では大きな問題になっているのです。これまでの高度経済成長時代、全部ヘドロの中にいろんな有害化学物質が沈積しているわけです。それを巻き返すことによって今、有害化学物質をたくさん散らしているのです。ですから今はもう、今までの一つ一つの要因が、実は理解できない全部の種類(有害化学物質)が、琵琶湖でも霞ヶ浦でも影響を及ぼしているという状況が起こっています。だからブラックバスがどうこう言うよりも、もっと恐いいわゆる内分泌攪乱物質、環境ホルモンの問題も含めて、起こっていると、そういうことにあまりみんなの目が向かないのは、結局、ブラックバスばかりを強調するから、一般の人はみんなそれが原因だと思ってしまっているのです。
 ここで生多研側から、「話の流れが違う」と指摘と反発がありました。コーディネーターの天野氏はこの場を抑え、また会場からの(主に水口氏に対する)行きすぎたヤジに対して、控えるよう注意をした後、中井氏からも穏やかに討論を進めたいと、ヤジの自粛を会場側に提案されました。その後、中井氏は先ほどの水口氏の発言を受けて、再度、次のように意見を述べられました。
 先ほど水口さんはブラックバス「だけ」を言うと、その「だけ」ということはないですよ。それも問題であるということのどこが間違っているのか、あるいは逆に、影響度が無いと言えるのか、無視できる程度だと言えるかどうかなのですよ。
 水口氏もこれに対して、「影響が無いなど一言も言っていないですよ」と弁解し、
 ですから影響はあるんだけれども、他のいろんな環境破壊などの要因とくらべて、この影響がどのくらいの重みかということは、研究しても非常に難しいところなのです。ですが、そちらのほうの研究が全くなされていない。現時点では。ブラックバスばかりに研究費を使うのはおかしいと指摘しているだけです。
 ここでコーディネーターの天野氏は次のようにお話されて、討論は次の「ゾーニングは可能か」というテーマに移って行きました。
 このブラックバス問題で一番の被害者は、ブラックバス釣りが好きだった普通の子供たちだと思うのです。しかしメーカーは、今年のカタログからブラックバス釣りの部分を削ってしまったようです。そんなことをしないで、自分たちの行っていることが正しいとするなら、ちゃんとメーカーのカタログに、今までの間違っていた部分、正しいと思っていることは正しいとはっきり明記するべきでは無いでしょうか。そして日釣振側は、秋月氏やかくま氏が投げかけられた問題については、相当に良い方向で改善しようとしている姿勢があると、私は判断しましたし、会場のみなさんも認めてあげて欲しいと思います。その中で、専門家である水口さんにお話をお聞きしたいのですが、「ゾーニングは可能か」というテーマが出ていますが、そのあたりについてはどうお考えでしょうか。
 この質問を受けて水口氏は次のように発言されました。


完全駆逐を目指すのか、水域を限って管理していくのか


 そのテーマに移る前に確認したいことがあって、先ほどのような議論になってしまったのですが、日本列島から全くブラックバスを駆逐してしまうか、あるいはある水域に限って管理しながら関わり続けるのかということを、まず整理しなくてはならないでしょう。もし秋月さんやかくまさんが、何がなんでもブラックバスを駆逐して、日本列島からブラックバスの姿を消してしまおうと言うのであれば、もう議論はここで終わってしまいます。私はもう、「どうぞおやりなさい」、と言うしかありません。だけど私はそういうことではなく、今、漁業権魚種として認められているところや、更に漁業組合が周辺のいろんな野生生物その他について関心を持っておられる方たちとの話し合って、ここではブラックバスを漁業権魚種としてやっていっても良いと、言うところができれば、そこで利用していけば良いと考えています。また更に、何も漁業組合だけにこういう問題をさせるのはいけないのです。本来、漁業組合がほとんど機能していないところがあります。残念ながら日本の内水面漁業組合の9割以上が機能していません。そういうところは、本当は今検討されている新しい水産法の変化の中で、地域ごとにそこの自治体や釣り人が、みんなでその水面を管理していこうと、そういう風に法律を変えようとしていたのです。しかし、内水面漁連から猛反発が起こって、自分たちで管理するから充分だと主張して、もとの状態に行こうとしています。そういう状態では、ますます日本の内水面をおかしくしてしまいます。ですから私は、もっと地元の人たちで声を上げて、もうむやみやたらと放流するなと(この場合バスだけをさすのでは無く)いうことを、ブラックバスの問題も含めて考えていって欲しいのです。同時に、漁業組合のない水域もいっぱいあります。ため池や、ダム湖、そういうところに関係している地元の人たちが同意するのであれば、特に都市近郊のため池であれば、子供達が中心になってそういう場所を「バスポンド」としていく必要が、充分にあるのではないかと考えています。そのときには当然、ヤゴやトンボなどを育成しているところなどには放流してはいけないということ、めったやたらと放流した結果どうなるのかなどを、きちんと教育するべきであるし、今のように始めから「バスを釣るような人たちは犯罪人だ」決めつけるということでは、子供達の教育は成り立たないと思うのです。
 この水口氏の発言を聞いて、秋月氏は次のようにお話されました。


キャッチ&リリースは子供の教育に果たして良いものだろうか?


 子供の教育のお話が出ましたが、水口さんは教育にブラックバスを使うというお考えでしたが、僕は使うんであれば、日本の中の魚では無い、日本の中の魚を食べないと生きていけないんだということを、きちんと説明することが真の教育だと考えています。結局、ブラックバスを教育とか、高宮さんたちはキャッチ&リリースするから「命の尊厳」を教えるのに良いと言っておられる。でも「殺す」ということを知らないと、「命の尊厳」というものは解らないのです。魚釣りというものは、古来からずっとあって、遊びという教育として見た場合、日本の魚を釣って、殺して、食べる。昆虫を捕って、殺して、標本にする。そういうことと近いと思います。そういうことで「死」というものを身近に感じるのに、釣りは良い遊び、教育だったのです。ですから、子供達にこの魚は釣ったら、殺してはいけないんだ、放すんだということを強要するようなブラックバス釣りのキャッチ&リリースについては、僕は賛成していません。本当の意味での教育に逆行していると思います。
 次に高宮氏はこう反論されました。


「食」としてのブラックバスの有効利用


 今、キャッチ&リリースのお話がありましたが、ブラックバスだからキャッチ&リリースではなく、もう50数年前から日本の中でもヘラブナ釣りなんかでも行われていますし、海外では数百年前から行われています。21世紀を迎えて、枯渇しつつある水資源を守る、生き物を大切にしていく、その精神から生まれる行為であって、そういう意味では非常に意味のあることなのです。また、先程来、申し上げているようにブラックバスも食べても良いと、いろいろな有効活用をして欲しいと考えていますので、日釣振としてはその部分では認識が違うと、申し上げておきます。
 付け加えて、水口氏もこう反論されました。


キャッチ&リリースの本質を教えていこう


 「殺す」ということで「命」の尊さを知るとは、これはすごいことになってきましたね。私はそうは考えません。キャッチ&リリースは、動物愛護でやっているのではないのです。自分がその後、もっと大きくして釣りたいという、単なる利益のためにやっているのです。かっこいいことでもありません。放す度に10%ずつ死んでいます、キャッチ&リリースは。そういう事実を、子供達はまず知るということ。そして次に、バスがエサをいっぱい食うことを知らないといけないと、秋月さんはおっしゃいました。自分たちでバスポンドを経営すれば、エサをたくさん入れないと、すぐ共食いをするということも、自ずと経験します。ものすごい貪欲な魚であるということは、自ら関心を持って行えば、自然と覚えるはずです。ですから、今、芦ノ湖でどのようにして、バスやブラウントラウトや、ニジマスが維持されているかということを、子供達が自分の池で経験することによって、ブラックバス釣りをするための管理の厳しさ、寂しいところが解ってくると思います。ですから、もしかするとここでブラックバス釣りから離れていく子供が出てくるかもしれません。でも、それが一つの教育だと考えています。
 これに対して秋月氏の発言は、


世界一、多種多様な日本の釣り文化を残していくべきだ


 先ほどの言葉を繰り返すのですが、子供たちに本当に「釣り」というものを教えるのであれば、日本の中のもともといた魚とか、そういうものを釣る方法があるということを教えるべきです。日本の釣りは、世界一多様な「釣り文化」という言われ方をします。一つの魚種で、春夏秋冬、釣り方が違うという「釣り文化」を持っているのは日本だけです。それは日本の中にそういったものを育む多種多様な自然とか、工夫とか、自然に対する親しみとかそういうものがあったからだと思います。その多様な釣りの数が、ブラックバスなどの外来種を入れられたがために、どんどん減っていく。もちろん、先ほど水口さんがご指摘されたような、公共事業とか、環境破壊とか、そういう要因も含みますが。ですから先ほどから何度も言っていますが、公共事業もダメだし、外来魚もダメだと、それが僕の意見です。
 天野氏は最後のテーマである「21世紀の釣りのあるべき方向性」に移る前に、討論を一旦、まとめられました。
 意見は多様にあった方が良いと思います。今日は、日釣振と生多研の方が一同に会して議論して良かったと思います。ここでもう予定時間が5分しか残っていませんので、中井さんからおひとりづつ、「21世紀の釣りのあるべき方向性」ということを踏まえながら、意見をまとめて下さい。

中井克樹:先ほどバスの放流の関与の話の中にも出ましたが、やはり場所ごとに釣って良い魚、釣ってはいけない魚、つまり認めてはいけない魚とわけた方が良いと思うんですね。釣りそのものが今、釣りを振興していくお立場の方を前にして言うのは失礼かもしれませんが、釣り人がちょっと多すぎるのでは無いかなと言うのが正直な感想です。それは渓流釣りもそうですし、バス釣りもそうだし、海釣りもそうだし。だからこそ、マナーなどのモラルの問題、漁師さんとの軋轢もあるし、海では漁師さんが放流した魚を釣り人が釣りあげてしまうというような問題もあるわけですね。ですから、釣りというものに対して少し敷居を高くする方が、自然とのつきあいという意味では考える時期に来ているのではないかと思います。例えばライセンス制を導入するとか、これはすでに検討されているようですけれども、そろそろ本気で考えた方が良いかもしれませんね。その時、バス釣りはどうするかということだと思います。

かくまつとむ:なぜ、ここまでバス釣り人気が盛り上がったかという背景も、分析する必要があると思います。一つは、コマーシャリズムに乗った釣りであったと言えるのではないでしょうか。昔の釣りがどうであったかというと、多種多様な魚を、季節に応じて多種多様な釣り方と仕掛けで、一種の風流として楽しむ文化がありました。春はフナ、夏になってハヤを釣ったり、アユを釣ったりといったこです。しかしここ近年、釣りに何が起こったかというと、例えば、自分はヘラブナしかやらない、イシダイしかやらない、ルアーフライしかやらない、ルアーフライの中でもブラックバスが好きだとか、トラウトが好きだとか、こだわりの強いという意味では良いと思うのですが、価値観が簡素化している、あるいは釣りが単純化してきている、そういうことが起こっています。その原因の一つには、自然の多様性の喪失というものがあるのかもしれません。いつから釣りの多様性を狭めていって、その結果、外来魚問題等が起こったのか、一つの魚しか偏愛できない構造が出来上がってしまった。これはちょっといびつな、本来の日本の釣りでは無かった事ですし、今一度見直さないといけない価値観だと思います。なぜ、バスじゃないといけないのか?そういうところから考えていただきたい。他の釣りはおもしろくないのか。日釣振の方があるところでおっしゃっていましたが、「今時、ミミズでフナを釣る子供なんかいない。だからブラックバスで子供たちに自然を教えてあげるんだ。」、私はこれは間違いだと思うんですね。やっぱり子供たちには在来種、その土地にいた魚を釣らせてあげる。そこにみなさん、もう一度、帰って頂けないかと思っています。それが私たちの願いです。

秋月岩魚:先ほど言いましたように、そこにある自然をどんどん変えていって、ここまで来ちゃったのは事実なんですね。それはみなさんもご存知だと思います。自然のことで世界中のことを見回したときに、何か良くなったことがあるのかと思うと、全くない。全てマイナスです。プラスになったことは一つもない。21世紀の世界は環境の世紀だと言われていますね。では人間はなにをしないといけないのか。人類が、次の子供、そして次の子供へとずっと存続していくためには、自然の恩恵を受けていかなくてはできないことなのです。ですから21世紀のキーワードは、「抑制と復元」です。この復元をできるだけやろうと。例えて言うなら、この人はひん死の重傷でもう助からないだろう、だからとどめを刺してあげよう。そうでは無いと思います。人間の倫理観とは、道徳観とは、助からないかもしれないけれども、助けるように努力するとか、そういうことが社会人としてありかただと思います。

高宮俊諦:
先ほどから話が出ておりますが、問題の本質をきちんと捉えないといけないということで、バスの影響はもちろんありますが、国土開発、行政、企業が水質汚濁に深く関わっていますし、漁業もまた乱獲も含めていろいろな問題があります。かなりの人たちがこういう問題に関わっていますので、こういうことを一つ一つ、日釣振も考えていきたいと思っています。また教育という面では、2000年から総合学習というものが始まりますが、我々といたしましても、バスフィッシングから得られる意義というものが非常に大きいと考えております。実際に外に出て、風に当たったり、雨に当たったりしていろんな体験ができます。もちろん体力も増強されますし、人間の感性も磨かれます。バーチャルからでは真の感動は得られないと考えています。今後は、もちろん日釣振はバスフィッシングだけではありませんが、バスフィッシングは非常におもしろい、自然の人間を遙かに超えた偉大さを楽しみながら、知らず知らずに身に付くと考えています。恐らく、総合学習が始まれば、私どもにも依頼がきっとあるでしょうから、そいいうメリットはきちんとお伝えしたいと考えています。

清水國明:バス釣りを教育に使うか、在来の魚を教育に使うかはそれぞれあっても良いかと思います。また、命の尊さを知るために殺すか殺さないかも、それぞれあって良いかと思います。ただ、21世紀の釣りをどうするか、ブラックバスとどうかかわるかということは、釣り人の立場でお話させていただきます。先ほど誤解を受けたかもしれませんが、「自由を守るために」と発言致しました。漁協の方に迷惑をかける、自由勝手に釣りがしたいというわけではないことを、もう一度確認させて頂きます。密放流などの問題も認めて、そして今、「釣り」がしたいということです。好き勝手に放流して、自由に釣りたいという意味での「自由」では無いのです。ブラックバスを禁止しろ、やっちゃいけないという動きがあります。でも、僕らにも釣りを楽しみたいという権利があります。どうして、魚釣りを楽しみたいという基本的人権のようなものを奪われなければならないのか。他の釣りがあるでは無いかと言われますが、僕はバス釣りをしたいのです。それを主張しているだけなのに、何がいけないのでしょうか。ゾーニングをして、管理をきちんとして、みなさんに迷惑を掛けないようにして、その中での「自由」であるとも考えています。最後に、バスに対して反対と考えておられる方たちにお願いですが、バス釣りを禁止したり、完全駆除ということは、やめていただきたい。

水口憲哉:今日、この会場にいらしている方で、バスも、バス以外でも、釣りを楽しんでおられる方はどのくらいいらしゃいますか?.....ああ、多いですね。私はその方たちに是非、公開討論会の資料の22頁(※12)に書いてあることを、読んで頂きたい。「21世紀の釣りのあるべき方向性」、釣りを楽しむ方たちが、今までは「釣りは趣味なんだ。面倒くさいことはイヤだ」ということの結果が、今の問題を生み出しているのです。ですから釣りをやるかたたちは、ここに書いてあることを真剣に考えて、釣りをいつまでも楽しめるようにすることが大切だと思います。


最後に


 最後に、天野氏はこのセクションと本日の討論のまとめとして、次のようにお話されました。
 「偏愛」というキーワードが先ほど出て来ましたが、私からみると、今日の両者はいずれも自分たちを「偏愛」する傾向が非常に高いと思います。先程来、「反社会的」とか、「害魚」とか、そういうキーワードが何度も飛び交ったわけですが、もう充分、生多研側が投げかけられた問題は、問題として社会的に認知されたと思うのです。これからは、日釣振のみなさんも、生多研のみなさんも話をして頂きたいのは、相手のことを思いやって、協力して本当に21世紀の水辺がどうあるべきかを議論していただきたいと、私は思いました。
(この記事は「Bass Fishing 虎の穴」で用いられたものを一部編纂しております。ご了承ください。)

文責:佐藤 元章(FB's Society)

"The Future of Bassing" presented by FB's Society / since May 21, 2002